時には哲学の話を

I want to sing the life.
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生存テスト
あー、てすてす。生きております。
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あー、こりゃ便利だ。
仕事決まってました
気づいたら一ヶ月半も更新してませんでした。
リア充(リアルで充実)してたんです。
普通に忙しかったです。そしてそんな普通に忙しい自分が
かなりまんざらでもない日々です。

前回の、父との密会の日記を書いてからちょうど10日後なんですが
思いがけずビンゴな仕事が決まりました。
そのタイミングになにか象徴的なものを感じるわけですが、
単に偶然かもしれません。わかりません。
ともかく、お礼とご報告を申し上げます。ありがとうございます。

4月から、小〜高校生向けのキャリア教育・キャリア支援の現場に
かかわることができるようになりました。
NPOなので、一般企業並みの給料は期待できないものの
NPOとしてはかなり実績をあげているので、他のとこよりも
よっぽどまともな金額がもらえそうです。
来年度の予算が出ないとわからないけど、ベース19〜20ぐらいで
ボーナスやら保険やらも整備していくとか。

仕事柄、ビッグな企業とのつきあいもあるそうだし、
まさに職業についての現場なので、足がかりとしても勉強としても
経験としても良いだろうと思います。
給料だの待遇だの、しばらくやってみて気に入らなかったら
どこかにうまくすべりこめばいいさ。

しかも、まさに私自身が今の塾のバイトとか
探すときにも、その前のもっと参ってたときにもすごくお世話になって、
本気であこがれて、なんとか働けないかなと思っていた
ある機関に、週に1日出向させてもらえることに!!
自分があそこに徐々に近づいていることは自覚してたけど、
いきなり一本の線でつながるとは!
お金やら交通の便やらを除いて、私にとってこれだけ良い環境ってあるだろうかっ。

就労支援は基本的に厚生労働省の管轄だけれど、
義務教育の年齢に位置する若者のキャリア教育となると
文科省の管轄だというのは調べて初めて知った。

4月から私が週1日だけ出向するその機関の、キャリアカウンセラーの人に
いちばんわかりやすく言うなら、ここの小〜高校生版みたいなところに
身を置きたいんだけれど、そういう現場や職種はいまあるのか、
あるならどうアプローチしていけばいいのか、と訊いたら

ともかく知ってそうなとこに電話してみろ と言われて
産業カウンセラー協会の人「文科省の管轄なので文科省に」
文科省の代表(!)の人「各自治体の教育委員会の管轄なので教育委員会に」
私の住む自治体の教育委員会の人「うーん企業ではなかなか今まだなくて、
NPOなどの民間団体なんだよね。そこはやっぱりあなたが危惧するように
ピンからキリまで怪しいとこもあるし、給料も苦しいものがある。
でも私が知るかぎりはこのNPOはかなり実績あげてるから、
ここに訊いてみたら(と、私が4月から行くことになったNPOの名を教えてくれた)」

NPO「ふむふむ。ところで今度の土曜ヒマ?ああそう、ちょうどいい、
君にとってもいい勉強になるだろうし、とりあえずこの研究会聞きにきなよ。
そのときに詳しい話をしよう」

土曜「じゃあ、4月から来てくれるんだね?」うっひょあ!

この一連の流れがあったのは、ともかくいじめ自殺脅迫手紙(?)で
文科省がいちばんぴりぴりしていた時期で、もちろん私もぴりぴりしてたんだけど、
でも、自分がこの人生で文科省の代表に電話かける日がくるだなんて
露ほども思わなかった、よりによって、いじめとか教師がうんぬんじゃなくて、
仕事の話でなんて。

私は、自分がどうしても企業的な風土にも、また逆に今度は研究者的な風土にも
なじめないことにしばらく前から気づいていて、じゃあどうしたらいいか、
ということは長らく見つからなくてけっこうドン詰まりだったんだけれど、
そうか、NPOがあったか!と、なんだか目からうろこがザラザラ落ちるような感じだった。

この関連でたくさん名刺をいただいたんだけれど、
見るとみなさんけっこう、複数のNPOの名前を並べて書いてあったりする。
仕事って、本気で開拓しようと思えばほんとにたくさんあるのね。
今まで気づかなかったのがもったいない。

私はよく言えばいろんなことに興味がある、悪くいえば移り気でこらえ性がないんだけれど、
だったらそういう自分の特性を甘やかさずかつ殺さないような、
社会との接し方をちゃんと考えればいいのだ、と気づいた。

仕事って、今までの子どもっぽいイメージで、まとまった給料をもらえる企業に
身をおいて、時間も精神も人生の大半をささげてあまり他のことはやらない、
みたいなことを考えていたんだけれど、なんというかきちんと自分を
前向きな状態で保てるような仕事なり環境なりに接していられるならば
たとえば複数のところに半身ずつ捧げたり捧げなかったりしたっていいのだ。

と、思ったらがぜんやる気ができて、なんだかライターデビューまでしそうな雰囲気。
とあるところのメルマガの編集&ライティングを手伝わせてもらう予定なのです。
これで堂々と「ライター経験あります」といえるようになるし、
この業界の知識経験も得られるし、楽しいな。

NPOの仕事しながら、趣味の世界に接するあたりのライターの仕事で
小遣い稼いでいけたらいいなー。

NPOの仕事、塾やりながらでもできるような単発の仕事は
年度内からでもお願いするかも、と前々からいわれてたのだけど、
ついに先日、初仕事にいってきました。いきなり大ポカやったけど。
総合学習の授業の風景のレポートを書くため、某高校の授業を聴いてきたのです。
皆ものすごく急がしそうで、わりとほっとかれたもんでずいぶんきょどったけれど、
皆が一生懸命働いているのが伝わってきて気持ちがひきしまりました。

塾の仕事に慣れたり、父に認めてもらったりしたせいか、
だんだん自分のことを不必要にアピールしたり、あるいは認めてもらえない、
かまってもらえないからといってカリカリしたりするようなことを
自重できるようになってきました。すくなくとも…… 自覚できるように 笑

そんなこんなで、毎日がずいぶん楽になって、楽しいです。
念願だった、Aとペアのリングも、年末に買いました。
母は相変わらずアレですが…… 忙しくしてさえいれば話さなくて済むから
まあ良いですわ。半年くらいして仕事に慣れたころに
無理せず家を出れたらな、と思ってます。
以前の私なら無理やり年度内に家出てたところだなー。成長したした。
そんなこんなも全て、「おかげさま」でございます。

さて、きのう受験だった私の愛する生徒達はどうだったろうか。
帰りにキットカット(きっと勝つ)の、サクラサク味をあげたんだけれど。
きのうは急に冷え込んで、気分も重くなるような寒空だったけど、
無事に、不安に負けないで、空欄を埋められただろうか。
受かる受からないは別として、ともかく彼らができるだけ良いなにかを
得てくれるといい。
学習性モキュモキュ
学習性モキュモキュ
父と密会のうえ二人きりで話をした。

もう何年も前から彼は妻を愛していないとのことである。
うすうす想像したり、いや見込みがあると身体をはって頑張ったり
いろいろしてみたけれども
当事者から真顔でいわれるとあっけないもんである。

父とここまで心を割って、対等な一個の人間同士として
話し合えたのは初めてだった。
そして本当の意味できちんと理解しあえるのは
親族のうちでこの男だけだと思った。

最初はハー、そうかそうかそうだったかと
へんに感心していたが、帰りの電車にのって少し落ち着くとともに
しばらく涙が出てきて困った。

涙。上を向いて。虚脱感。


私は必死に自分のない頭をひねりまくって
心理学だ思想だと本を読みあさって
のがれようとしていたけれども、
結局のところ私はかなり物理的に心理的に
母に抱きこまれたまま今まできていたようだ。
そりゃあ、まったくの無抵抗や無学よりもずっとマシだろうが。

母の側からしか聞かされていなかった
私の家の物語がぽろぽろと父の口から紡がれるにつれ、
ああ私が母を信頼できず、人間的な意味での尊敬もできず、
最後には健康な愛情をもてなくなっていたのも
それはそれで致し方ないことだったのだ、と
初めて自分を許すことができた。

父が全く正しかった、などとは思っていない。
本人も言っていたが、彼の彼女の導き方は間違いであったし、
そもそもをいえば、彼が彼の妻と結婚したのが
「間違い」であったのだ。

しかしその「間違い」で生まれたのがこの娘であり、
その父であり、その妻である。
この、おおいに間違った人生を送っている男を
父とし、そしてさしたる理由もなく渇望し崇拝し信頼しているのが
この娘である。

私が彼を信頼するのは他でもない、彼が清潔だからである。
人間として清潔だからである。
たとえば泥のなかの白い蓮の花のように清潔だからである。
身体は獣のようにくさいけれど、言葉は乱暴で態度は横柄だけれど、
ともかく最終的なところで圧倒的に清潔なのである。
そして私と同じように、その安全とはいえなかった生い立ちゆえに、
人間を見たらまず疑え、人間は自分の想像もつかぬ
考えや行動をするものだ、という根本的な危機感や
想像力というものを備えているからである。

いっぽうで私は母を信頼していない。
その理由は他でもない、彼女が不潔だからである。
人間として不潔だからである。
たとえば白い蓮の花のうえの吐物のように不潔だからである。
服装も食べ物の趣味も傍目の言動もみな上品で洗練されてはいても、
ともかく最終的なところで圧倒的に不潔なのである。
そして私や父と違って、そのあまりに安全すぎた生い立ちゆえに、
人間は全て良い人でなければならない、
人間はみな自分と同じ考えや行動をするものだ、
という根本的な鈍感さがあるからである。

父はたしかに間違った女と結婚したかもれないが、
恥ずかしながら、間違った理由には個人的にも時代的にも
私は理解できてしまう。
そしてたしかに彼は彼女をミスリードしたかもしれないが、
その娘である私をミスリードしてはいない。
彼はただ、私に近しく接触することができなかっただけで、
抑圧したり抱え込んだりへんなものをしつこく押し付けたりはしてこなかった。
それでいて、少し離れたところで、
おそろしいほどに私をよく見ていて、そして見ただけで、
会話も交わさないのに、私という人間の真髄をきちんと理解していた。

一方母はもう完全にこりゃ私をミスリードしている。
理解があるとかないとかではない、
完全に理解し違えていて、そしてさらに
その間違った理解を、正しいものと思い込んでいるのである。
彼女がそのおかしなフィルターを通さずに
きちんとその両の目で私を見てくれたことなど
一度でもあったろうか。彼女は彼女の世界の中でだけ生きているのだ。
それはあるいは深い深い、深い病で、
正常の域であるだけに誰にも救い得ないのかもしれないのだ。
いや、もしかすると最も異常なのかもしれない。
今まで、誰が呼んでもそこから出てきてくれなかった、
そればかりか、ののしり、泣き出し、金切り声をあげた。
まぁ……何かの人格障害なのか、どうなのか知らない。
知ったところで、結局何もできないのならただむなしい。
愛そうにも、彼女が愛させてくれないのである。
それはそれは頑なに。彼女が拒むのである。
われわれがいったいなにをしたというのだ。
医者のなにがいやだというのだ。
それとも無理やりに医者にひきずってゆけばいいのか。


小さい頃は物理的にくっついていることはあまりなかったが、
私が11,12のころには既に私は彼女の心理的リトルナースであった。

小学校6年だったかのとき、あまりの集団的いじめに耐えかねて
勇気をふりしぼって学校にいきたくないと訴えたとき、
母はおろおろして泣きじゃくり、次の日から数日寝込んだ。
父はお前には教育を受ける権利があって……と説教をぶった。

私はあのとき父にはもっと優しくなぐさめてもらいたくて、
拒絶されたような反発心におそわれたが、
けれど、それでもなぜだか信頼と尊敬は失わなかった。
けれど母は……私はあの頃から15年ほども、
彼女の看護のために心身をささげてきたように思う……
あの頃以来、信頼も尊敬もない。
ともかく、彼女を泣かさないために、怒らせないために、
頭痛を起こさせないためだけに生きてきたように思う。
極論だけれどもそう思う。

それはたとえばボタンを踏んでも踏んでもビリビリと
電気ショックを与えられ続けたかわいそうなビーグル犬のように
畑を耕しても耕さなくても結果は同じで
しかもじわじわと生活の悪くなっていった時代のロシアの農民のように
私は牙を抜かれ、無気力を学習していった

そして今もそうである。
そろそろ抜け出すのである。

私は帰宅するとはっきりと無気力になる。
スイッチがきりかわったかのように無気力になる。

親が子を自動的に愛すなんてことは嘘だし、
強制されえるものでもないということは
既に誰だって知っているだろう

子は親を自動的に愛す ということも嘘である
子は親を自動的に「求める」ことはあっても
愛することは自動ではないし、
強制されえるものでもない。

親が子どもを、個人的な好き嫌いやわがままや信条で
愛したり愛さなかったりするのと同じように、
子どもが親を、個人的な好き嫌いやわがままや信条で
愛したり愛さなかったりしたっていいのだ。
いいかはわからないが、ともかくそういうことはありえるのだ。
原理的にありえるのだ。


以前、私は父方の祖母を愛していないといった。
今度はこれも言おう。私は母を愛していない。
あるとしたなら、蒙く頑なな者に対する、
長期を長く共に過ごした者に対する、
情とか憐れみだけである。
求める気持ちも残ってはいるが、
あまりにむなしいのでほとんど捨てて来た。

ようやく、事情を知る当事者から
「納得いかないのなら愛せずともしょうがない」
という許可をもらえた形なので、
安心して言おう。私は母を愛していない。
おそらく、誰にそしられようと、
最終的には彼女から逃げて逃げて逃げ切っても
私は許されていいはずだ。
もちろんそれは最後の手段ではあるけれど。

彼女が結婚後に受けた苦しみは否定しないし、
ある程度であるならば理解もし共感もする。
しかし、だからといって娘や家族を
あのように扱ってよかったとは思わないし、
あのように生きてきてよかったとも思わない。
それをきちんと導いてもらえる機会や人に
恵まれなかった不幸にある程度不憫を感じはするが、
だからといってでは尊敬できるか信頼できるか
愛せるかというと、そうではない。
だからといって一人の若者の人生を
丸ごと自分の、ただ老いていくための餌に
使っていいとはいえない。

産んでくれたこと、育ててくれたことに感謝はする。
キャリアウーマンのさきがけとして生きたこと、
その、洗練されたものに関する感覚や知識の部分に関しては
もちろん尊敬の念もある。
しかし、だからといって服従しなければならないいわれはない。
これは私の人生である。人の役にたつためのひとつの人生である。
それを彼女の、ただ周囲をののしりながら老いていく
残りの人生のためになげうつわけにはいかない。

職場のボスが言っていた。
両親の間に尊敬と愛情がまわっていると、
子どもは親から「あなたの母を尊敬していい」
「あなたの父を愛していい」というメッセージを
もらうことができる、と。

私の場合は、両親の間は壊れていたけれど、
長いことなかった父娘の間柄が生まれたから、
「あなたの母を愛さなくてもいい、
尊敬しなくてもいい」と、
メッセージをもらえたのだ、今になって、初めて。
そういった形の許可のメッセージが、
愛さなくても良いのだ、という形の許可のメッセージが、
この世にあるだろうなどと私は露も思わないできた。

世の中というのは歳をとるほどにその様相を変えるものだ。
お前もかわいそうだったな、と、たったひとこと、
当の父に言ってもらえただけで、
こんなに救われるとは思っていなかった。
すまなかったな、とか、そんな言葉もなく、
かわいそうだったな、と、そのひとことだけで。
ああ、ここまで生きてきた意味はあった、
そうだ、たしかに私はかわいそうだったんだ、
自分はたしかにかわいそうであったのだ、
その心を信じてもいいのだ、と。

きっと母も私を愛していないだろう。
本人は愛していると思い込んでいるが。
私はたんに彼女が愛情深い人間であるための慰み者だ。
逃げ出した夫や息子のかわりでもある。
いない友人のかわりでもある。
もしかしたら父や母のかわりでさえあるかもしれない。
私は彼女が世界の中心でありつづけるためのかわいそうな羊だ。
この家族のためのかわいそうな羊だ。


私はもう自分の胸の痛みをちゃんと信じていいのだ。
理不尽であることを理不尽だと堂々と言っていいのだ。
あなたのような、いつも飢えていつまでも蒙い者を、
餓鬼(がき)というのである、
あなたのような、わが子を絞め殺す女を、般若というのである。
般若は観音菩薩の異形でしかないいと、
そういわれているにもかかわらず、あなたは常に般若であった、
そのように思う。
おうさまのみみはろばのみみ。
おうさまのみみはろばのみみ。








おうさまのみみはろばのみみ。


私は母が死んだら泣くだろう、もちろん泣くだろう。おいおい泣くだろう。
しばらく泣くだろう、思い出せば何年でも泣くだろう。
しかしそれは私が彼女を愛し尊敬したからではない。
それはおそらく、彼女が私に、彼女を愛させてくれなかったことへの悲しみである。

そのときにはせいいっぱいの供養をしよう。
一生、思い出しては泣こう。ただし思慕ではなく悲しみとして泣こう。
憐れみとして泣こう。ひとりの、かわいそうな孤独な女の、
それに自分で気づけなかった世にも不幸な女への悲しみとして。
でなければ彼女ばかりか私も救われまい。

生きている間に救えない人間もきっとあるのだ、
その場合にはひたすらにかわりに悲しんでやれる以外になにもない。

いつだったかずっと昔、
こんな悲しみの世にひとりの人間として生き、苦しみぬき、
もっとも高いところを考えとおしていった
ゴータマ・ブッダという人間が実在したということにおいて
私は人間というものへの信頼を失わない。
新しくは、マザー・テレサやダライ・ラマ14世など。
彼らが厳密には神でなく、あくまでも人間であるということにおいて、
私は人間を信頼する。
自分も苦しみぬけば彼らのようになれるかもしれない、
あるいは衆生の皆も、という可能性を示してくれるからだ。

ダライ・ラマは観音菩薩の化身だという。
ならば彼らは私の母である。
マザー・テレサはクリスチャンだったが、
その生きた道はもう宗教を超えて尊い。
あの慈悲の深さ、修行の厳しさのありかたは
仏教的にいえば完全に菩薩である。
彼女も私の母である。

でも実の母は般若。

これは苦行なのさ、これは苦行であるのさ、
私の母という存在は、いつか私を菩薩レベルの懐の深い
人間にするために天が遣わせたもうた
ありがたい悪魔なのかもしれないじゃないか。
もしかしたらほんとに観音菩薩かもしれないじゃないか。
合掌して試練をいただくしかないかもしれないじゃないか。

……ってぐらい思わないとやってられません。
ともかく抹香くさい女になったな。

=========

自分の不幸を 自分の苦しみを
なおすことだけ考えるのは 心がせまいのだ
家のこと みんなのことを考えてみなさい

だれでもいい 人間でもほかの生きものでもいい
相手を助けなさい
苦しんでいれば救ってやり
こまっていれば 力を貸してやりなさい…
ときには身を投げ出しだしても 相手を救ってやるがよい…

みなさんは みなさんのできる方法でやればよい

お金を持っている人は 苦しんでいる人にあたえ
ちからのある人は 苦しんでいる人をささえてやりなさい

よぶんなお金もちからもない人は せめて相手の気持ちをくみとって
かわいそうに と同情してあげなさい
それだけでいいのです それであなたは…
相手のために苦しんだことになる
この心を「慈悲」と呼びましょう

慈悲!
どんな人の心にも宿っているはずです
だからあなたが だれか苦しんでいる人のことをあわれんだとき
同じように別の人が きっとあなたについて
あわれんでくれているはずです…
あなたがだれかを助けたら 別の人が
今度はあなたをきっと助けてくれましょう

―『ブッダ』第12巻 手塚治虫  潮出版社 より


==============

父に、そんなふうに生きざるをえなかったあなたが
かわいそうでかわいそうでぽろぽろ涙がでる、
と勇気をふりしぼってしみじみと言ったら
彼は見たことのない顔をして、珍しく否定をしなかった。
最近までなんでもはねっかえす人だったので、
今まで面と向かってきちんと言えなかったのだが、
今度ばかりは迷いがなかった。

もしかして届いてくれただろうかと思いつつ、
その後しばらく母のために私がどんな苦労をしているか
話していたら、突然ぽつりと、かつしみじみと腹の底から
お前もかわいそうだったな……と。

それにいたく打たれてしまって、ふと『ブッダ』の
この一節を思い出して、ここ数日ついつい読み返している。

かわいそうだと思ってもらいたいときに、
かわいそうだと思ってもらえるのは何よりも救いだ。
私は人をできるだけ救いたいから、人の苦しみが
幸か不幸か見えるほうだから、きっとそれが役目だろうから、
だからできるだけ人の心に寄り添おう、
たとえば村上春樹が「自己療養のためのささやかな試み」
として文章を書いたのと同じように。

===========

結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、
自己療養へのささやかな試みにしか過ぎない…
それでも僕はこんな風にも考えている。
うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、
救済された自分を発見できるかもしれない…
その時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

―『風の歌を聴け』村上春樹 講談社文庫 より
============
そろそろ無罪放免
子どもらが期末テスト。
中間返ってきてフォロー終わって
落ち着いたと思ったらもう期末かい!
ていうかお前らはもっと主体的に生きろォオオオ!!

と、テスト終わったらそれぞれたっぷり絞ってやろう。
とくに新しく入ったばかりでまだ私の洗礼を受けてない子な 笑
一瞬嫌われても、絶対すぐにより深くついてきてくれるの
わかってるからいいんだもんねッ。
中学ぐらいのとき、私もこういう塾だったら通いたかったな。
人生のちょっとだけ先を歩いてる人たちが
本気で心配したり勉強とか生き方教えてくれるとこ。

来週は眠たい顔してやってくるか、
試験日程によっては欠席して家で勉強する子も出るかなあ。

ずっと続ける職場としては金銭面どうので
どうかと思うけど、リハビリとかひとつの経験として
ここは最高です。毎日何かしら学ぶものがあって
滅茶苦茶楽しい。責任も重いけどね。

そんななかで、ドクターから
もうそろそろ来なくていいんじゃないかとのお許しが出ました。

さいしょのうち、へー、そんなもんか、と思ったけど
帰り道歩いててだんだんズシッときた。じわじわきた。
なんかほんとに走馬灯のように、
あのドクターに出会ってからのことを思い出して、
嬉しさとか名残惜しさとかでぐしゃぐしゃになり、
思わず電車の中でのぼせてもうた。知恵熱ですな。

よくぞ私はここまで来た。
思えば長かった。ちょうど2年ぐらいか、通い始めて。

ありがとう。
てごたえいろいろ
昨日はどらまてぃっくな一日であった。
講師としてのウマミをこうギュッと濃縮したようなね。

やむをえずなぜか理科社会も教えているとは
再三いっているけれども、その理科社会がですね。
先日生徒が中間テストで、結果返ってきたんだけど。
理科社会、苦手科目で平均点より下ぐらいだったのに
いきなり80点とか90点とかよ!!
教え始めた時期などと照らし合わせて、どう控えめにみても
この成績アップ、かなり私の力が良く影響してるみたい。
あまりの上がりように本人も私もビックリ。
なんていうか初めて自分の頑張りが証明されたような気がして
よく考えたら私はこういう数字に出る結果
ほしかったのかもなと思った。

今までともかく、良くわかんないけど生徒の表情とかよく見ながら
ただそのときのベストを尽くすだけだったので
これでいいのかなってずっと不安だったのよね。
反応がよければいつも手応えを感じてはいたけど、
いくら反応がよくても点に出なかったら結局意味ないから。
この感じでいっていいんだよって
背中をポンとしてもらったような感じなので
この調子であわてずさわがずがんばります。

あとはほらこの時期文化祭とかあるでしょ。
それのまとめ役をしなきゃって子がけっこういて
私が上の朗報を聞いた同じ日に、
なんだか暗〜い顔して入ってきた子がいて
どうしたのかなと思ってたら
クラスがまとまんなくて大モメでもうヤダ〜!と半ベソ。
この1週間それに時間と気持ちをとられて
出してた宿題ほとんどできなかったって落ち込んでた。
宿題でやってきた内容の答え合わせ+解説の形で
授業を進めるので、私のやってきた準備は役にたたないわ
受験までの残り時間は押してくるわで多少動揺したけど
うまいこと逆手にとって、話をきく・元気づける・ほめる・
いままでを振り返る→じゃあ文化祭もあと数日の辛抱だし
次からは気持ちも新たに集中してできるね、
きょうは内容は進められなかったけど
ふだん話せないことがたくさん話せて逆によかったよ〜
きつい中ほんとに頑張ってるね、お疲れ様!
といって帰らせた。最後はニッコニコで帰ってくれてうれしいのなんの。

こういう仕事ってほんとナマモノだなあと思う、
その日その日の1時間ごとに手応えとか向かう気持ちが違って
それによって よし理科の先生になっちゃうぞとか
やっぱり到底無理だなあとか
社会の先生になっちゃうぞとか やっぱやだなあとか
でも自分の勉強になるからいいやとか
英語は楽だからいいぞとか でも逆に手応えがなあとか
話きいてやる気ひきだすのがいちばん好きだな、
やっぱりカウンセラー的なことがいいのかとか
でも深刻なケースは私がまいっちゃうしな
うんちくたれる快感もすくないしなとか
大人を相手にしたキャリアカウンセリングもいいけど
子ども相手ってのもこう眩しいぐらいいいもんだなとか
だからって塾の講師だと教科の勉強に時間とられるし
時間帯は遅いし、時給換算にしたら……

とか毎日毎時間、将来への気持ちがころころ変わります
ともかく私がしなきゃいけないのは
まずは年度末までこの子たちとやり遂げること
ともかく一度もできてこなかった、
ひとつの仕事を最後あるいは年度末までやり遂げること
このただ一つであります それがいちばん大事です

自分がどんな4月を迎えるのか
今からわくわくと楽しみです
一ヶ月を経て/ココロの損益計算書
初仕事は8月17日でした。
リスタートをきってからおおよそ一ヶ月経ったことになります。
今週の仕事は昨日でおわり、ビバ週末、
週末といっても週に2日しか働いてないんだけど 笑
いわゆる普通の世間様と週末感覚を共有できるのって
長いことイジケきっていた人間にとっては無上の喜びなのです。
だからどんなに仕事増やしてもぜってー土曜には仕事入れないぞ!

毎月10日ぐらいが給料日。
1年半ぶりに給料袋というものを手にしました。
こう、胸にジンとくるものがありました。
サラリーにキッス、です。額(ひたい)に掲げました、なんか思わず。

もともと時給が安いうえにいま研修期間で
さらに時給がお安くなってまして、
しかも室長の人柄に惚れてちょっと遠いとこまで通ってるので
交通費、1日180円も足が出てます。
この1ヶ月で1080円ソンしてます。
交通費込みで11500円もらったけど
いわゆる基本給でいえば貰えたのは8500円、
つまり純利益は損失分を引いて7420円。

しかしこれは明細書上だけでの計算で
まともに教えるためにどうしても自分にとって必要で買った、
予習復習・指導技術用のテキストが合わせて4900円、
だからそれも引いてしまえば2520円……

暑かったので思わず買ってしまったジュース分が合計720円
まだ生活リズムがうまくつくれてなくて
おなかへって慌てて食べたおやつとかごはんが
よく覚えてないけど合わせて1000円ぐらいかな
これまで引いてしまうと……残り800円!!

でももっと正直に言うと、塾の求人を受けるにあたって
中学程度の教科のテストがあったからそれのために
慌てて買った詰め込みテキストがあって、それが合計1700円
それをあえて引くと……マイナス900円!!

さらにあえていえば、ここに決める過程に入ってから
おおよそ2回ジョブカフェに通ってて
その電車賃が合計1600円なので
それをあえて引くとマイナス2500円だね奥さん。

心身ともに大人で落ち着いて、バランスがとれて健康でなければ
お金ってのは手元に残らないものなんだね。
だから常に冷静にコンスタントに状況見極めて
生きるのが大事なんだね。やっぱり。
と、口元にへらにへらしながら思いました。

自分がガーッと慌てて行動することで
どれだけ、使わなくてもいいはずのお金を使ってきたか
薄給であるぶん、よお〜く実感できた。
前の仕事なんてぶうぶう言いながら働いたり
うちで寝てたりしながら月に20万近く貰ってたんだから
なんて生活してたのかしらと愕然としたわ。
たしかにぬるま湯だった、ぬるま湯であったことよ。なり。けり。
労働というのはこういうことなのだね。
まあもちろんこの待遇のまま、うむ労働である、
などと思っているつもりはなく
少しずつそういうとこ考えていくけれど。

今月分は、上に書いたような初期投資がなくなるし
教えるコマ数も少し増えたし、ジュースおやつゴハン類も
少しずつ気をつけはじめたので
1万ちょいの小遣い程度は手元に残るでしょうな。
んでもって来月頭ぶんからは時給が200円あがるし
新しい生徒もけっこうコンコンと入ってくるだろうから
まあ週3で3〜4万手元に残るくらいが御の字か。
大人数授業をやらないで週4で教えた場合5万ぐらい。

ただこれくらい働いても今度はとうちゃんかあちゃんが
これ幸いとばかりに小遣いくれなくなるだろうから(笑)
実家に住みつつ月2万貯金できたらいいほうだろう。
まさにフリーターのパラサイトシングルやん。あれやん。
ここの塾の雰囲気は大好きだけれども
ここのお給料だけで自立しようとするのはどう考えても無理ね。
ここで経験を積み、社会的振る舞いも身につけつつ
つぎの春を目標に、塾講師派遣会社に登録して
時給のいい職をゲットするか、
この経験が生きるような他の職種をじっくり探そう。
つぎの春ごろには、仕事の内容自体に少しは自信もててるだろうから
ダイレクトに職場環境の影響受ける程度も軽くなってるだろうし。

根本的なところで室長を信頼できているので
不条理感をほとんど感じずに仕事できる。それがとても嬉しい。
今までの仕事場なんて不条理の塊だったもの、
すくなくとも私にとってだけだけれど。

たとえば、○日までにつぎの範囲について電話するよ、
とか言ってくれるから素直に○日まで電話待っててもくれず、
こっちも室長が忙しいだろうからとつい遠慮してしまい
生徒に教えなきゃいけない日の前日になって
おずおずと電話してみたら受付の子が
「あー室長忙しいから忘れちゃうんだよね、
 どんどん急かしていいんだよ」とか言ってくれたり
いついつまでに○さんのなんとかについて
相談しようと言っててやっぱり忘れてたりとか
そういうことがしょっちゅうあって、
まあ最初は腹たったけど、本人がホントにいっつも
必死に働いてるってのがビンビンこっちに伝わってくるので
うんそうだよねそれならしょうがないよねって
納得してしまうのよね。
約束を忘れるなんていうのはビジネスマナー的にはアウトだけれど
彼がそうやって約束を忘れちゃうときってのは
もっとずっと大事な大変で、彼にしかできないことをやってるときで、
逆にこんな約束なんてのは、下で働く私たちが
彼の傾向をよく理解して少し気を回せば
じゅうぶんにカバーできる、誰にでもできることなのだ。

前の職場というのは、理屈では納得できても
きちんと腑にはおちないちょっとした不条理感というのを
気合とかテンションとかやる気とか標語とか
ビジネス本の受け売りとかでなんとかうまく丸め込まれているような
そんな偽善的かつ押し付けがましい感じがしたのだけど
ここの室長はほんとに人間くさくていいなぁ。
不本意にも働かされている、という感じがしないのだ。

まあ英・国のつもりで入ったところ、
メインが理・社みたいな感じになってしまって
きついのは確かだけれど、あの入ったときの勢いで
思わず「やります」って言ってなかったら
ああ自分理科社会も教えられるんじゃん、
って思うことのないまま生きてたと思う。
というか正直、理科社会を教えるほうが楽しいし、教えやすい。
私自身が国語を得意すぎて、特に小中学校の問題なんかは
ほぼ感覚だけて解いてきてしまったので
それを理屈や言葉で、しかも、その理屈や言葉自体が
苦手な子に対して説明しなければならないので、
だいぶんしんどい。そうして、そこにある言葉の壁に、
それを上手に超えられない自分に、少しいらついてしまうのだ。
その苛立ちが子どもに伝わってしまったら悪いなあ、
仮に私が苛立っていたとしてもそれは
その子のせいではないのだけど、子どもにとっては
苛立ってる先生 が目にうつるわけで。
もっと掘り下げれば、国語ができないことさえ
その子のせいじゃないしな。

中学生のほうが教えやすいな。
嫌なときに嫌と言うか、あるいはそういう反応を
する力が出てきてるし、言葉も通じやすい。
小さな子、とくに今の小学生って
かわいそうなほど周囲を大人にがちがちに囲まれてて
特に母親にいっつもギュウギュウしめつけられてる感じ。
感想は?って先生に訊かれたらこう答えなさい、とか
全部母親が仕込んでるんじゃないかと勘ぐってしまうほど。
母親が塾に送ってきて、迎えにきて、
たぶん家でもビッタリ横について勉強教えてるんだろうな。
母親というのは女で、私も女なので、悪いなあ、
私が男だったらなあ、と思ったり、
そんなん考えてもショウガナイジャーン!!
そういう、カンガエテモショウガナイことを
ついつい考えそうになってしまうので、
小学生より中学生がいいなあ。
親の支配下から少しずつ出るところで、
でも社会の力にはまだ組み込まれていなくて、
いちばん可能性が輝く時期で、柔軟で、いいなあと思う。

というわけで、もの忘れの激しい、忙しい室長には
中学生がいいなあ、中学生がいいなあ、いいな〜あと
くりかえしすりこんでおきます。
国語は同じ中3なら手間が省けていいけど、できれば英語がいいなあ。
英語って、なにげに教えるのいちばん簡単な気がします。
あと、自分自身が忘れてるからそのブラッシュアップに。笑

理科の天体のとこ前回ズタボロだった子が
今回問題解かせたらいきなりほぼ全問正解してびっくり。
前回は宿題すっかり忘れてきたのに
今日帰って1問だけやる気ある?ってきいたら
ハイやります!だって。うれしいなー。

そろそろ生徒一人に見開き1ページぐらいの
ファイルをつくって整理していこう。
学習計画用のカレンダーみたいなののフォーマットも
少しずつ考えていくかー。
前の仕事のノウハウをうまく再利用しよう。


わー、秋晴れだ。

きょうは暖かいというか少し暑いぐらいなので
ちょっと合わないけれど、きのう小学生に教えた詩を。
この詩は紅葉の時期ぐらいの、空気がぴぃんと張ってくるあたりの
晴れた、たぶん昼下がりがいちばん似合うと思うな。


「素朴な琴」八木重吉

このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう
牛乳
母が、屋根裏が雨もりしていないか見てきてちょうだいといった。
そういうわけで屋根裏へいった。
面倒くさいので生半可に診る。
災害用に買った手動発電の懐中電灯を、
ジーコジーコとまわしながら診る。
とくに雨などもっていない、そういうことにする。

屋根裏のムンとしたほこりっぽさにひとつふたつクシャミをしながら、
そういえば中学校時代の教科書やノートなぞ
家捜ししてみようと思っていたのだ、と思いだす。

陽にあたってモロモロになった段ボール箱に、
「Chai 中学校教科書」「Chai 小学校ノート」など
油性ペンで書きなぐってある。
今も昔も性懲りもなく汚い、自身の字である。
よっこらしょとあれを退かしこれを退かしして開けると
思いがけずすぐに、一番の目的であったところの
中学校の理科の教科書がみつかった。
その当時の授業内容を記したノートもたくさんみつかった。

しかし同時に、お嬢様中高一貫教育校独特の文化なのか知らないが
「生活記録」といって担任と毎日のように
交換日記のようなことをする文化が、私の過去には存在したのだ。

なんとも鬱陶しい慣習ではあったが、
鬱陶しい鬱陶しいと思いつつも当時はともかく
お喋りの相手がいればいいといった感じで
やたらと担任に懐いて、現在を彷彿とさせる長文を
したためまくっている。

前時代的な校則やら、事なかれ主義の教師たちに
いたく立腹して小難しい論理を展開するさまや、
センチメンタルな自分に淫しているところや、
やたらといろんなものに打ち込むところ、
面白い言い回しにネットリ固執するところ、
まさにこれぞ私自身である。当時13歳。

今の目で当時の先生方のコメントを見ていると、
なにかと義憤に燃えたり、あるいは懐きすぎて
際限なく親しげに振舞おうとしだす私を
苦笑いしながらなだめたりすかしたりしつつ
面白いもので思わず一緒になってはしゃいでしまって
よけいに私を調子づかせてしまい
ついにはすごくマニアックな映画や本の
貸し借りをしてしまったりだとか
すごく愛してくださっていた様子が伝わってきて
ひょっとすると涙が出る。

どうやら中学時代の私は、けっこう幸せだったようだ。
とくに悩みがないし幸せだ、と繰り返し書いている。
疑心と策略の渦巻いていた小学校時代から解放され
ポヤンとした同級生のわりかし単純な愛情につつまれて
やれ映画だやれ文化祭だ、努力というものは、
皆で力を合わせるのって楽しいことだったんだとか、
一方でからだはのびるいっぽうで、おなかがすいてすいて、
毎日、人生への期待はふくらむいっぽうで、
牛乳を朝に2はい、夕方のおやつに2はい、
毎日、人生や人間の中の、おいしいエッセンスばかりを
ごくごく飲んでいた、そんな感じだ。

最近、なぜ義務教育が中学校までであるかについて
思いをめぐらし、中学校卒業までに習うことを
しっかり興味をもって理解していたら
たしかにそのへんの社長よりもずっと立派な
大人の人間として生きていけるな、
したがって、高校受験をしない、すなわち、
中学校で習う内容をきちんと叩き込む試練あるいは機会を
経ずに大人になってしまった私は
自分がいま教えているところの、
高校受験をしなくてはならない中学生たちよりも
ある意味欠陥人間なのではないのか、と
考えていたのだけれど、
あんなにおいしい時代に放課後ほとんど毎日のように
塾だなんだに通わなければいけない彼らは
気の毒な気がする。

私が通った中学高校は家からとても遠くて、
2時間もかけて通学するだけでけっこういっぱいいっぱいで
夏時間の時期に、朝の掃除をする当番なんかまわってくると
4時20分に起きて始発ちかくに乗らないと
間に合わず、かといって3分でも遅刻すると次の日もやりなおしだった。
それから昼の12時半まで、早弁はもちろん、
お茶やジュースのたぐいまで禁止で、
土曜(土曜も学校がある時代だった)なんかは
昼を食べずに下校せねばならず、帰りに寄り道をしてはならず、
買い食いはご法度、下手すると朝の5時からおやつの3時ぐらいまで
のまず食わずということもあった。
あれはほんとに本気で保健上もどうかと思うが、
そういうのだけで、のびたがり、遊びたがるからだが
ぶうぶう文句をたれていたのだ。
それを思うと、塾に拘束される苦労と、
離れたところにある校則の厳しい女子校に拘束される苦労と
トントンなような気もするが、

ともかく13とかそれくらいの少女やら少年は
なんつうか毎日毎日、希望とか夢とか努力とか
眠気とか空腹とかちょっとした自己嫌悪とか
そういうのを朝夕の牛乳みたいに毎日ごくごく飲んで、
たくさん日に灼けて、ぐいぐい背をのばして、ちょっとわけもわからず泣いたり
ただそれだけの毎日を送ってほしいものだ、と、そう思うのだ

なにごとも一長一短だけれども、
そんな感じですっかり涙もろいよ。
明日は国語ッ
あしたは初めて国語だよ!
椋鳩十の「大造じいさんとがん」を教えるんだよ!!
特に同年代の人には懐かしいかもしれない。
私も小学校のときに習った。

15年ほどの時を経て、ふたたびこの作品を、
今度は教える立場として手にとってみて……
ひとつの作品を「読む」「味わう」というただそれだけのことが
掘れば掘るほどとめどなく深くなっていくことに
ただただシビレるばかり。

当時は、たしかにこの作品に描かれた世界を
味わうことはしたけれども、
なんとなく道徳くさい押しつけがましい話だなあ、
感動したフリして感想書きゃいいかなあ、
ぐらいにしか考えていなかった。
それは私が子どもだったこともあるけれど、
いま思うのは、教えた先生がそもそも味わってないのよ。
なんとなく感動させて問題に正解させて
道徳心身につけさせときゃいいか
(あるいは身についたことにしときゃいいか)みたいな
そんな考えで教えてたからなのよ。

当時の私に教えた先生方なんて
椋鳩十のうしろに、ツルゲーネフ、ロシアの社会主義問題があり、
ディープエコロジーを経、西欧のキリスト教的な自然観と
東洋の仏教的自然観との摩擦を通りぬけ
エコフェミニズムが噴出してそれがいつのまにか
宮崎駿につながるなどという、
鼻血が滝のように出るような、
でっかくて複雑な潮流が流れてるだなんて
想像すらしなかったのだろうな。

くだらない、実にくだらない。
こういうことに関して口が悪くなるのは
感じのわるいことかもしれないけれど、
私にはほんとうに、知を愛さない人間が
人様に知について教えられるなどと
単純に信じている、その発想が許せない。
ある意味、ヘタなもんを教え込む教育は
搾取になりうるよ。
人間から、学ぶ楽しみ、生きる楽しみを奪うのだ!のだよ!!しょうゆ!!

母が昨晩ぽろりと、
「あんたに国語教えてもらう子どもは幸せだねえ」と言った。
夕飯のしたくどきで、一緒にこう、
並んで台所に立っていたときさ。
いや、急にそんなこと言われても心の準備が。
ぐ、ぐぐっ……ううう ちょっとダメージ受けるほど嬉しかった。
幸せ、だよ、ちょっとあなた、幸せ、だよ!!
幸せってあなた、それがために死んでもいいと、
それくらいの価値のあることじゃないか!
いいねぇとかうらやましいねえとか楽しいだろうねえとかじゃなく
いきなりそのへん飛び越えて「幸せ」ですよ。
そんなことが私に、できると、母は……!!おうーーん


私は物心ついたときから、先生であろうがほかの大人であろうが
自分にとってバカに見える人間のことはバカにしてきた。
それはものすごく傲慢なことだったかもしれないし、
そういった自分の性格を恥じてもきた。
もちろん家族を含めたいろんな人に、
ちょっとそれはどうなのということを言われてきた。
だけどいいや、私これでいいや。
まだ迷ってるけど私これでいいや。

ツァラトゥストゥラが言った如く、
けっきょくのところ全ての義憤のでどころは
ちっぽけな私憤でしかないのだけれど、
でもそれでいいじゃないの、
自分の気に食わないことには、ぞんぶんに憤然としたっていい、
そのかわりに、それよりもずっとたくさんの時間、
にこにこと満足して笑ってたらいいじゃないの。
それこそプライドをかけてだよ。命かけて勝ちとんのよ、
幸せになんのよ。その背中を子どもやら、家族やら、
老いた両親や恋人やら、そういう大事な人に見せてヤンのよ。
ていうかそのために生きてるんでしょう、そうでしょう。
それだったらあれでしょう、センセイ、
子どもを使ってじゃなく、
自分の人生において復讐してることになるでしょう?

愛してるぞこのやろうバカやろう。
説明イオン症候群
ここ最近自分の中から、他人様のところでやたらとながながしく
なにかのうんちくをたれるという(ハタ迷惑な)行為が
自然と減ってきたように思う。その理由は。

……「仕事で説明欲求(?)を昇華しているから」に他ならないな。

私はどうもこりゃ困ったもので、
一日に最低延べ1時間ほどはコッテリと
人の腹にもたれるほどうんちくをたれないと
フラストレーションがたまってイカンのである。

もともと自分が説明好きであることは重々自覚していたが
しかし説明することを仕事にしてみて初めて実感するに
私の説明好きはもうホントにある意味
ギャンブル好きと同じぐらいに破壊力のある性質であるらしい。
どこかで健康的に昇華してやらないと、
周囲に悪影響をおよぼします。どうやらそのようです。

もうマジで楽しくてしょうがない。
男が好きな女の中で気持ちよーく射精したときって
こういう爽快感と充実感と安心感があるんじゃないか、
と思うくらいの、ほぼ身体感覚を伴うほどの快感である。

説明ばっかりですいません。
これからは、以前よりか少しぐらいは、
この悪癖でみなみなさまにハタ迷惑をおかけすることが
減るのではないかと推測するしだいです。

ほんとに、太宰じゃないですけれども、
生まれてすいません、に近いぐらいの勢いで
この自分の知識欲とかですね、
抗いがたい説明欲求を
ほんとに恥じてたとこがあったんです。
説明してすいません、
自慢しいみたいで知識で優位にたとうとして
ホントに鼻につくわよね、などと、イジイジしてたんです。

その一方で、自分の説明欲求を昇華しきらずに
どこか抑えていたところがあったので、
なんとなく便秘でもしてるような、残便感といいますか、
イケそうでイケないというか、そういうムシャクシャが
いつもつきまとっていました。
でもいまはそれがない、もう、しあわせにおなかいっぱーい。
ああきょうも楽しく説明したぞ!という感じ。
仕事で、かけらもセーブせずに説明しきってくるので
仕事あった日は、うんちくききたくもない相手に
やたらうんちくしかけるようなことがなくなりました。
あー、今日はもういいやダラッとしよ、という感じになります。
やだあ、こんな感覚初めて。

これが金になる日がくるとはね〜。
あらまっちゃんでーべーそ、ですよ。
自分が病的なまでに好きなことが、
純粋に役割として人に喜ばれることが
こんなに羽ののびる思いであろうとは
私は想像すらしないできました。

適材適所ですね、ほんとに。
燃やしちゃうよ?
きょうは化学反応を教えるんです。
酸化しゅぼぼ〜〜〜〜!!!

いくら調べても、なんで塩素がものの色を脱色するのか
わかんないよー(つД;)

二酸化炭素をふき入れた石灰水がにごるのは
二酸化炭素と石灰水中の成分が反応して
白色の化合物ができるからだ、ということは
どこだかの科学質問掲示板でようやく見つけた。

「石灰水が濁ったから二酸化炭素でてるね ハイ覚えようね」
「赤インクが脱色されたから塩素でてるね ハイ覚えようね」
そういわれても「だからなんでなのよ!」と
いきまく少女だった現在26の女は
10年たってもまったく同じござぁーす。

同じ講師で理系の子がいるので鼻の穴ふくらませて
いろいろききまくっているのだけれど、
なんでそんなどうでもいいこときくのだ!?
という顔をされます 笑
私が中学高校だった頃の理科の先生って
みんなかなりいい先生だったんだなぁ。
彼らのおかげでほんとに理科大好きだったもんなあ。

中学のとき、女の先生がいたんだけどね、
地球の中心がマントルとかみたいに溶けてなくて
完全な固体だったと仮定した場合(そんな仮定はありえないが)
地球の中心を、北極点から南極点までぷすっと
リンゴの芯を抜くように抜いたとして
その穴からボールを落としたとすると
そのボールはどういう動きをするのか?
と訊いたら、うぅうううう〜〜、考えてくる一週間待って!
といってくれ、ほんとに調べて答えてくれたという
エピソードは今でも強烈に覚えてます。あれには感激した。
それまで私は、学校の先生ってのは
本人がわからないことを訊くとうやむやにしてごまかすか、
あるいは逆ギレするものだと思ってた。

その先生は、位置エネルギーのことを教えてくれたとき
「あんたたちそこに座ってるだけで破壊力持ってるのよ、
たとえばこの教室の床がパカンッて割れたとすると
あなたたちは椅子ごと地面に落下して……」
って教えてくれて、やっぱり私に、ウォーターー!って
叫んだときのヘレン・ケラーみたいな衝撃を
与えてくれた人でもあります。

自分がここに居て座ってるだけで位置エネルギーを持ってる、
破壊力をもってる、ということ、
それを知ったら、自分がこの世に存在するというのは
なんと不可思議なことであろうか!!と
私はほんとにしばらく動けなくなるほどの衝撃を受けたのでした。
同時に、死んで焼かれてこの身体がなくなるというのは
この位置エネルギーがなくなる、
厳密にいえば、他の音や振動や物質に変わることなのだ、と
考えたら、もうホントに途方もないことでした。
世界というのはなんと精緻につくられているんだろう、
と思ったのでした。その興味はそのまま、
哲学への興味につながっていきました。
あの時期に「私たちは星屑なんだ」とうたう
「ソフィーの世界」を読んだのはほんとにグッドタイミングだった。
元素の周期表を習わなかったら、私たちが星屑であるということを
つぶさには理解できなかっただろうと思う。

私は、やるんならああいう先生になりたい。


歴史はhistory、
物語はstory、
謎はmistery、
この三つの言葉はみんな語源が一緒なんだよ、
勉強するというのは、私たち人間がいったいどういう存在であるのか
その、人間という存在の歴史を、すなわちその
ロマンにあふれた物語を学ぶことで、
自分自身という人間の中にある謎を解き明かすことなんだよ、

と、熱弁。
あまりに熱弁だったためか、
ことあるごとに私がホワイトボードに「history」と書きなぐり、
storyの部分にビャッと線をひいてふりかえると
生徒がニタァーッと笑うようになった笑
そして、その熱弁のようすが周囲に漏れ聞こえるらしく
ほかの講師からもニタニタされるという

そんな女です。
昨日は、電気抵抗の単位はΩ(オーム)だということを
強烈に覚えてもらおうと思って
ホワイトボードに、なにかに抵抗してる王虫の絵を描いて
オーム!とかってナウシカの真似をしてたら(生徒、失笑)
周囲の全員に聞こえてたようで
すでに宮崎マニアとして周知徹底済み。

はっはっは、笑えばいいさ、笑えば覚える。
オカシな先生だなー、よくそんなサムいことやるなー、
と思っていい、むしろオイシイ。
君が笑ってくれるなら、私はいくらでも道化師になるよ!
私はこういう変わり者の自分をどこにあてはめていいのかわからなくて
ずいぶん苦しい思いをしていたけれど、
変わり者でアクの強い人間が逆に価値になるのって
もしかしてこういう仕事なのかもしれない。
私はたぶん、自分のなかに毎日せっせとためこんできた
知識や感動を、自分以外の何かのために役立てたくて役立てたくて
それを発揮する場がみつからなかったもんだから
あまりにエネルギーがとどこおった結果しおれちゃってたのかもしれない。
あまりに長いことしおれてたがために、
自分にはエネルギーが足りないんだとばかり思い込んでた。
あふれるエネルギーはどうにかして使ってやるべきなのだな。
なんと空気のおいしいことだ、と思う。

と、そう考えていて、ああ、あるべき講師というのは
柔軟な役者に似ているな、すると教壇は舞台であるな、
と思うのでありました。
演劇の世界に憧れ、役者の生き方にあこがれたことがあったけど
こんな小さなホワイトボードの前で
ピエロになったり哲人になったりオタクになったり
お姉さんになったりお母さんになったりボスになったり
なんだってできるんだからこんなオモロイことないわね。

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